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2016年6月26日 (日)

初めて足尾に行きます♪-8・・・坑夫の墓から間藤駅方面へ 2016.6.7

本山坑跡を後にして龍蔵寺に向かいます。

途中の山のてっぺんに木のない岩だらけのお山ですね。何故、足尾の山から一本の木もなくなってしまったかと言うと、活発な製錬工場の煙突から亜硫酸ガスがモクモクとと出ていたのです。それは明治の中頃から昭和30年頃までずっと続いたそうです。煙害によって新しい芽が育ちにくくなって木も草も生えないはげ山になってしまったそうです。近くに住んでいた住民も苦しみ、亡くなった人もいました。日本における初の公害問題が起きた足尾でもあります。
今は「足尾に緑を育てる会(NPO法人)」が中心になって回復に向かっています。環境改善の取り組みは全国でも注目されているようです。

"日本の近代産業発祥の地 産業遺産と環境学習のまち  足尾”という冊子から抜粋しました。
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しばらく行くと古い鉄の橋が見えました。これはバス通りから何回か見ていましたが、三日目にしてやっと分かりました。古河橋といいます。近くに工場ができたので
明治20年に起きた松木村の大火によって直利橋という木造の橋が火事で焼失しました。この火事は間藤駅まで延々と1週間も燃え続けたそうです。

(あいまいな記述だったので、再度Mayumiさんに再確認しました)

明治23年に鉄製の橋になり、それが現存されているという道路用鉄橋で、国の重要文化財になっています。今は渡れませんので周りから見るだけです。
明治時代からあるなんて、この古河橋は長い間、足尾のすごい歴史を黙ってみてきたんですね。

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古河橋のすぐ隣にあるのが製錬所跡ですね。物々しい煙突がぽつんと立っています。S2016_06_07_9999_112



と、目線を渡良瀬川に落としたら、岩肌の斜面にいたのがあのカモシカだったのです。
山から降りてきたのかな?この後、自分の居場所のように悠々と日向ぼっこしながらお昼寝してしまいました。
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剥き出した岩肌がブルーに見えますね。ここで硫酸銅が酸化した様子が見られます。
これは硫酸銅ではなく、銅の緑青(ロクショウ)いわゆる銅の錆です。
この岩の上が貯選鉱倉庫と言って選りすぐられた選鉱物の倉庫のためのようです

あいまいな記述だったので、再度Mayumiさんに再確認しました)

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大量に吹き出す亜硫酸ガスを除去するために昭和31年にフィンランドから技術導入して煙から硫酸を取り出す方式を確定してました。さびた三個のタンクはその硫酸の貯蔵タンクだったのです。ここで初めて亜硫酸ガスを食い止めることができました。この足尾で開発された製錬技術が今や世界で生き続けている無公害の銅製錬方式です。
"日本の近代産業発祥の地 産業遺産と環境学習のまち  足尾”という冊子から抜粋しました。

この硫酸は純度の高い薬品として運ばれていたのですね。二次産業ですね。

公害をなくすために取り入れられた方式で活躍した赤いタンクがそのような救世主のように感じないのはなんでだろう?

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少し目線を右に写すと、まだ殺伐とした外観を見せている本山製錬所跡ですね。
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さて龍蔵寺に着きました。
このお寺さんの屋根の彫刻は鶴ですね。何か謂れがありそうです。
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入口近くにある無縁仏塔は煙害で廃村になった松木村の先祖のものです。対峙する先には廃村に追い込まれた製錬所跡があるという皮肉な場所です。無縁仏塔からは恨みつらみが今も息づいているかのようです。どうか安らかにお眠りください。合掌。
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同じく龍蔵寺は坑夫の墓としても有名です。Mayumiさんが連れてきてくださった時期はお墓全体に白いマーガレットの花が満開でした。まるで鎮魂歌ならぬ鎮魂花のようでした。
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丁度中央あたりに小野崎家の墓という碑を見つけたMayumiさん。ここに眠っているのが小野崎一徳という写真家で明治の頃に古河市兵衛と共に足尾の歴史を見続けてきた方です。かじか荘で薦められた”小野崎一徳写真”に足尾の明治時代からの貴重な写真があります。これを集めたお孫さんの小野崎敏さんは使命感をもって必死になって探し集めたそうです。だからものすごい貴重な写真集です。しっかり見させていただきます。
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山のてっぺんに白い物が見えるのですが、うまく写りませんでしたね。これは赤倉地区の梵天で、毎年1月の第4土曜日に新しい梵天を龍蔵寺でみんなで作って、翌日に代表者たちがあそこまで登って取り替えるそうです。 (Mayumiさんの説明から)
すごい勾配で岩登り並み。だんだん登れる人がいなくなるのではないでしょうか?
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龍蔵寺のわたらせ川の対岸が製錬所跡です。
この赤い工機は昭和31年に確立された自溶製錬の一部だそうです。
(Mayumiさんの説明から)
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これも上と同じような役目の一部なのでしょう。
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遠くに見える赤い煉瓦は火事の延長を防ぐために多くの社宅に建てられたようです。S2016_06_07_9999_179



間藤(まとう)水力発電所跡・・・輸送方法の変化に伴い、大量の電力が必要となり、明治23年に建設されました。その電気は坑内の排水や坑内電車、電灯などに利用されました。これが銅内近代化の原動力となりました。
"日本の近代産業発祥の地 産業遺産と環境学習のまち  足尾”という冊子から抜粋しました。
その名残りが今も残っているって、すごいロマンを感じますね。
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この場所は日光からの足尾行きのバスでひき返していたので何となく覚えていました。気になります。Mayumiさんが車で走ったのはどっちだったかしら?左かな?覚えてません(笑)
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社宅がたくさんあったあたりの石垣の名残りです。
当時は相当賑やかだったでしょうね。
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植樹活動で山に森を復活させようと続けられていますが、山が黄色く燃えるようになりました。なんとエニシダがどんどん増えて行ってしまったそうです。山くずれなどに強い丈夫な木を植えるはずがマメ科の植物ではよろしくないのでは?と疑問が湧いています。どうなんでしょうか?何も知らない人は足尾の山が黄色くなる6月だなんて広がってしまいそうですね。Mayumiさんによると、エニシダは意外と耐寒性があり、丈夫なのでそのままになるのかどうかは営林署(林野庁)が考えることになりそうです。
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この辺りが足尾ダムとか砂防ダムとか三川合流ダムと言っていたそうです。その砂防から、SABOという名前が世界に通用するようになったそうです。この三角の山の左に松木沢、右に久蔵沢(クゾウサワ)。が広がります。あの公害第一号の村がこのあたりの松木村です。この辺りもたくさんの社宅が並んでいたが一軒もなくなった場所です。
この右方面から阿世潟峠を抜けて立木観音に抜けられるようです。(Mayumiさんの説明から)
全く地理感覚がわからない私でありました(笑)
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右のぼんやりした山が中禅寺湖からだと三角に見える社山(しゃざん)かな。
手前の鉄塔は策動(ケーブルカー)に使ったのでjはないかと思われるそうです。
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少し車を移動しました。ここはわたらせ渓谷鐡道の終着駅の間藤(まとう)駅です。
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間藤駅前で見られるこの古い建物は古河鉱業間藤工場です。こんな古い建物が現役なんですからすごいですね。古河鉱業は欧米からの輸入機械を使っていたが、明治33年にこの工場で独自の機械をたくさん作っていたそうですよ。独創性のある機械を次々と産み出していったんですね。
昭和17年には足尾式削岩機となって独立したそうです。今は古河キャスチック(株)として営業しています。(Mayumiさんの説明から)
この建物のままにしているのは何故?工場が続いているなら近代的に変えそうな気もするけど・・・?これも世界遺産登録の関係かもしれませんね。
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さて、駅の構内に入ってみましょう。以前は物資を運ぶために続いていたそうですが、今はここで終わりです。駅の終着点って初めて見ました。
この駅には「カモシカに会える駅」という見晴らし台があります。でも最近はあまりやってこないとか...。
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ホームに入ってくる足尾からの電車を撮りたかった希望をかなえてもらいました。
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そしてホームの中で記念写真です。Mayumiさんです。
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私も今にも乗り込むような写真を撮ってもらいました。
こんなことをしても誰も怒らないのです。
都会と違ってのどかなわたらせ渓谷鐡道ですね。
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この後、足尾にある古い神社のひとつ、磐裂(いわさく)神社に行きます。

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コメント

noharatugumi様、こんばんは。

そうでした、tunamiもありましたね。SABOのことは今回、教えていただいて知りました。古いだけでは今の若い人は魅力を感じないかもしれませんね。今回初めて足尾に行って、私の知らないたくさんの歴史を感じました。あまりはげ山と感じなかったのは、これまでの皆さんの努力が実を結んできたんでしょうね。

古い大きな建物や工場は何か惹かれるものがあります。
それにしても往時が偲ばれますね。
砂防は英語でもSABO…津波はtsunamiと一緒に教えています。
足尾が発祥だったんですね。
ハゲ山もだいぶ緑が回復しているようで安心しました。

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